ごみの出し方ひとつにも責任が伴うということ

 

生活クラブ運動グループ杉並・地域協議会の新年交流会で 1/18

~94年びん分別回収実験が教えてくれたもの~

杉並・生活者ネットワークは1994年5月、ごみの組成調査を行いました。可燃ごみと不燃ごみ、それぞれ200㎏ずつを細かく分類してみるというものです。

 その結果、可燃ごみには生ごみや新聞紙、雑誌、包装紙、段ボール、衣類・布類、紙パック、木くずが約80%、不燃ごみではワンウェイびん、リターナブルびん、スチール・アルミ缶、ペットボトル、発砲スチロールが約45%あることが分かりました。今ではびんや缶は当たり前に資源として回収されていますが、当時はそうではなかったのです。

 びんを他のごみと分けて資源として回収すれば、その分ごみが減るのではないか。そう考えて、生活クラブ生協・井草支部市民活動委員会と杉並・生活者ネットワークとが連携してびんの分別回収の実験をやってみようということになりました。

 そのころ私は、井草支部の支部委員として活動に参加し始めたところで、この実験に出合いました。実験は、善福寺1・2丁目の約1,100世帯に協力を呼びかけ、毎週土曜日に計10回行いました。そして、実際に回収されたびんの量や住民の意識調査などをもとに、当時生活者ネットワーク区議だった樋口蓉子さんが一般質問をし、区側から「早期にびん回収のモデル事業を行い、段階的に杉並全区に拡大していきたい」という答弁を引き出しました。

 私はあまり政治に関心を持たずにいましたが、この一連の活動(調査・実験・提案)に関わることで、暮らしが政治に直結していることを実感しました。毎回当たり前に出すごみの処理には多額の税金が投入されていることや、再利用できるものがごみとして捨てられていることを知り、自分の目の前からなくなればいいというのではなく、ごみの出し方ひとつにも責任が伴うのだと考えるようになりました。

 自分が問題に気づき行動することが公的経費の節約になり、めぐり巡って我が家の得につながるのだと理解できました。いま思えば、その時から自分たちの暮らしのことは自分たちで考え、やってみて、政策提案するという回路が頭の中に出来上がり、以降、環境・子ども・高齢者・障がい者などに関心が広がっていったのだと思います。