新たな年を迎えて

実家、藤沢の高台から夕陽に映える富士山をのぞむ 1/1

実家、藤沢の高台から夕陽に映える富士山をのぞむ 1/1

あっという間に、またお正月がやってきました。時の経過に無自覚になっている自分を反省しつつ、今年こそ、忙しさに流されないように目標をもって活動できるように心掛けたいと思います。

「私たちはどこへ向かおうとしているのか?」新聞をはじめ様々なところで問いかけられている。安心<不安の社会状況を改善し、安心を取り戻していくために何をすべきか、元旦の朝日新聞のオピニオン紙面にあった霊長類学者、京都大学総長の山極寿一さんのコメントに目がとまりました。人間の体の奥底には互いに協力しないと安心は得られないことが刻み込まれ、社会性の根深い基礎になっていて、安心は決して一人では得られないと。そして、安心を作り出すのは「共感力」や「信頼関係」だとも。集団につきもののしがらみや息苦しさを軽減するために、個人として存在しやすいように技術は進み経済成長を実現してきたと。たすけあわなくても生きて行けるように多種多様なサービスが生み出され、ますます人々を孤立化させているのが今の社会だと私も危惧しています。ビジネスも保険や防犯、ファッションなども不安をあおって成り立たせているというが、政治もまた然り。何やら見えない力に騙され踊らされ刷り込まれているように思えてなりません。

私が長年活動に関わってきた生協で学んだ「安心」は素性がわかるということ。情報公開がされ、顔の見える生産者との関係が「安心」につながります。食べ物の不安を解消するために始まった取り組みは一人では解決できないから協同組合という集団をつくり、消費者である組合員と生産者との間の信頼関係と共感によって「安心」を創り出してきました。私は「安全」より「安心」を信じることにしています。なぜなら、絶対安全はないからです。

山極さんは人々が信頼をつむぎ、安心を得るために必要なのは「ともに時間を過ごすこと」ただ一つで、その時間は「目的的」であってはならないと言い切っています。「目的的」初めて聞く言葉ですが、「価値を得られるように過ごす」ことを言うようです。つまり、安心を得るのに必要なのは見返りを求めず、ただともに過ごし、互いに相手に時間を捧げることだと。改めて、このことを胸に人とひとのかかわりを大切にしていきたいと思うし、今後も区政にまつわる事柄に「安心」がきちんと担保されているかをチェックしていきたいと思います。

今年は都議会議員選挙があります。区政と都政との連携によって私たちの暮らしの安心を確実に手に入れていくために、小松久子を2期目の都議会に送り出しましょう!

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。