原発事故5年半後の福島を訪ねて②

右から小松久子都議、「季の子工房」のご主人武藤さん、奥田雅子

右から小松久子都議、「季の子工房」のご主人武藤さん、奥田雅子

➣「生業訴訟」原告団事務局長・服部浩幸(東和のスーパー社長)さんのお話

初日夜は菅野さんが営む農家民宿遊雲の里にて交流会および「生業訴訟」についての勉強会が開かれた。東和地区では当時目に見える被害がなく避難にも無頓着だったと服部さんは話し始めた。スーパーという職業柄、どうやって食品をそろえるかが先行していた。

原発事故から1年後、地元学校のPTA会長の時、学校給食のコメを県外産から県内産へと切り替えることを教育委員会から伝えられ、検査をきちんとしていくので問題ないということで承認した。しかし、それに対して敏感に反応した父兄がスーパーに抗議に押しよせたため、改めてその対応をみんなで協議し、不安な人は自宅からごはんを持参してもよいということを決めた。そんな経緯からご本人も危機感を持ち始め、ウクライナ視察の機会を得て参加。27年後のチェルノブイリにおいても未だ数千ベクレルの内部被ばくをしている人がいる現実を突き付けられ、福島の将来と重なった。その頃、政府は原発再稼働や原発輸出をしようとし始めていた。原発は福島だけの問題にすり替えられてしまったことに抵抗するため、1万人の原告団を目標に第2陣から原告団に加わった。

宿泊した「季の子工房」の目の前に広がる里山風景

宿泊した「季の子工房」の目の前に広がる里山風景

国と東電は年間放射線量20ミリシーベルト以下は被害ではないから避難から戻れ、被害救済も打ち切りだとし、責任を放棄する態度に改めて怒りがわく。加害者側が賠償を決めている状況に対して、東電と国に責任を認めさせることが裁判の最大の目的だが、原発事故に限らず、これまでの公害訴訟や沖縄の基地問題もしかり、いつも弱い立場のものが切り捨てられる日本の構図に対して、私たちは問題を自分に引き寄せて考えることを忘れてはならないと強く思った。

この日私たちは3か所の農家民宿に分かれて宿泊。私と小松久子都議は「東和 季の子工房」に宿泊。泊まれる農家レストランと言ったところです。レストランはシェフの息子さんが腕を振るうのだとか。ご主人の武藤一夫さんはなめこ栽培の傍ら、NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会の理事長をされており、里山再生プロジェクトに取り組んでいる。季の子工房の目の前にはのどかな中山間地の里山の風景が広がっている。震災後初めて今年、東京荒川区の中学生60人ほどが農業体験にこの地域を訪れたそうだ。来年もこのような取り組みが続いていくとよいと思う。