映画「ある精肉店のはなし」~いのちをいただくということ~

荻窪駅前で遊説 左から市橋綾子、奥田雅子、そね文子 2/28

纐纈あや監督の「ある精肉店のはなし」は、大阪府貝塚市のある家族の「精肉店」にかけた職人魂、いのちをいただくこと、さらに部落差別問題を考えさせられる奥の深い作品でした。

 映画の中の北出精肉店は、牛の肥育から屠畜、解体、販売までを一貫して家族労働で行っています。牛の額をハンマーで一撃し失神させるという衝撃のシーンから始まるのですが、むごたらしさは感じません。むしろ、人の血や肉となるために一つの「いのち」が捧げられる神聖な営みに対し厳かな気持ちにさえなります。

 その生命を肉や内臓、骨や皮に至るまで、余すことなくいただくために黙々とていねいに進められる作業の手には、職人としての凛としたプライドが漲っています。ぜひ、ご覧になることをお薦めします。

 私たちの「食」は、すべからく生き物の「いのち」です。だから食べ物を無駄にしていいはずがありません。しかし、日本の食糧事情はどうでしょう。約6割を輸入に頼りながら、一方でまだ食べられる食品を大量に廃棄している…農水省の2013年度推計では実に年間500万~800万トンが廃棄されています。

 日本のコメ収穫量約850万トン、世界全体の食糧援助量が約400万トン、ナミビア・リベリア・コンゴ民主共和国3か国分の国内消費仕向量(国内生産量+輸入量-輸出量-在庫増加量)約600万トンと言われていますので、日本の廃棄量が尋常でないことがわかります。その量で世界の飢餓が救えるという話も聞きます。

 デパ地下には多種多様な食品が並び、一見豊かな情景が目を喜ばせてくれますが、日本が世界中から食べ物を買いあさってこられる時代は終わりに近づいていることに人々は気づいているでしょうか。

 地球規模の気候の変動や自然破壊などによる農作物生産量や漁獲高の減少で輸入が困難となり、中国やインドなどの国々の飽食化によって世界中の食糧の争奪戦が始まっているなど、食をとりまく深刻な状況が間違いなく進行しています。

 子どもや孫の代まで食の安心・安全を確保するには、生産、流通、消費から廃棄までが持続可能なしくみの下で循環していくことが必要です。私たち一人ひとりの暮らし方・食べ方が問われています。